■蒔絵、その源となる漆とは?
漆の歴史は、古く縄文時代に遡る。
漆の樹から採取する樹液を一般的に漆と呼び、
「強力な接着力がある」
「塗って乾燥すると非常に堅牢になる」
「塗った表面が光沢を持つ」 など、
漆という樹液の効能を縄文人は知っていたようで、
縄文遺跡から、朱漆や黒漆を塗った刳りぬき椀や、竹編の漆器や、
漆塗りの櫛や耳飾りや、漆塗りの丸木の弓などが、
土偶と共に発掘されている。
■日本に残る最も古い漆芸
飛鳥時代から奈良時代にかけて大寺院が数多く造営されている。
それに伴い、仏像・仏具を塗るための漆技術の進歩と需要が広まったと思える。
その中でも質の高い漆芸品として最古のものは、
法隆寺の玉虫厨子と云われ、正倉院宝物とともに奈良時代を代表する。
正倉院の漆芸品には、貝を漆地に嵌め込む螺鈿、漆地に金泥や銀泥で
文様を描く金銀泥絵、漆地に薄い金や銀の板を細かく文様にして
嵌め込む平文、漆地に金粉を散りばめた末金鏤(初期の蒔絵)など、
日本漆芸の源と云われるほど、精巧で芸術的価値が高い。
■蒔絵技術の確立と蒔絵師の台頭
平安時代から鎌倉時代、そして室町時代までの約数百年の間で
蒔絵技法がほぼ確立されたと云われている。
蒔絵は、漆地の上に漆で文様を描き、その上に金粉や銀粉を
蒔きつけ金銀の文様を表す装飾法である。
その漆地と金粉、銀粉の面を平に滑らかにするために漆を何度も塗り研ぎ出す
『研出蒔絵』と研ぎ出す手間を省くため文様の金粉、銀粉の上を薄く漆で固め
磨き上げる『平蒔絵』は、平安時代には完成していた。
鎌倉時代になると、平安の優雅さに加え、豪華さをだすため平蒔絵の
下層をあつく地盛りする『高蒔絵』技法が生まれた。
そして室町時代には、より高低差や濃淡をつけて立体感や写実味を強くだすため
『肉合(菱合)蒔絵』が発達した。
■蒔絵技術の確立と蒔絵師の台頭
蒔絵が隆盛を誇った平安時代から室町時代、大成された蒔絵技法に加え、
文様のバックとしても金が煌めく沃懸地や平目地、梨子地のような技法が
生まれた。
また、螺鈿装飾も巧みになり、切金(金銀の薄板を切って文様に張る技法)も
応用された。これらの技法とともに器胎の形や意匠にも変化があらわれ、
武家文化らしい大和絵調のなかにも剛健ではでな趣きがでてきた。
そして、蒔絵が発展したこの時代、二つの流れが生まれた。後に漆芸界の
大きな流派となる五十嵐派と幸阿弥派である。
五十嵐派の初代五十嵐信斎と幸阿弥派の初代幸阿弥道長は、
共に名工として活躍しながら、平安以来の蒔絵の基盤を作ったといえる。
現代に伝わる加賀蒔絵は、江戸時代、加賀百万石と称された前田家に、
京都に住む蒔絵師、五十嵐道甫が蒔絵を伝承したと伝えられている。
代々五十嵐家は、室町時代から京都で蒔絵を生業とし、初代五十嵐道甫が
加賀藩主前田利家に度々招聘され、その都度工人に蒔絵を教えた。
初代五十嵐道甫の没後、二代五十嵐道甫が三代藩主前田利常の時代、
加賀(金沢)に移り住み本格的な蒔絵活動をして、加賀蒔絵の礎を築いた。
江戸時代には、幸阿弥派、琳派、南蛮漆器など様々な流派や様式の蒔絵が
揃っていたが、室町以来の伝統的な蒔絵の五十嵐派が金沢、
加賀に根を生やして普及した。
五十嵐蒔絵は
(一) 秋草の意匠が多く、絵画的構図ながらも図案化されたものが多い
(二) 地蒔きに平目粉を蒔いたり、螺鈿、切金、付描などの多彩な技法を
用いるが装飾過剰ではない
(三) 硯箱、歌書箱、伽羅箱、など箱ものが多いなど、
意匠や技術に伝統を継承した精微なものが特徴と云える。
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